「できる」の価値(駆け足)

まさかのタイトル忘れ。修正しました。

知ってましたか? 「本質」の対義語は「現象」だそうです。こんにちは、10ブクマより10へぇがほしいcnktです。

さっそくですが、がっつり書く時間がありませんでした。とりいそぎタイトルのとおり、1件ご紹介してとんずらします。

羽生さん(さん付けか)の言葉は、ものづくりの仕事をしていないぼくにもクリティカルヒットすることが多いです。「自分(たち)がどうありたいか」と「なにがお客さまにとってよいことか」を両方とも、常に考え続けておられるその姿勢ゆえかなあと思ってます。これって本質の話だよなあと。

「できる」があればお金はもらえます。また、それを「やる」ひとがいないと立ち行きません。これは多くの場合、ふるまいとしては現象への対処だといえるかなあと思うのですが、「やる」だけでいいかどうかはたぶん別の問題で。

えーと、これは、目的がなんであるかに依存する……つまり「どうありたいか」や、それを「やる」環境やらなんやらもろもろに影響されることなので、だれもが、と言うつもりはないです。「できる」ことは必要だし価値のあることなのはまちがいありません(ぼく個人としては目的は共有していたい派であることは前回書いたとおりではあるのですが)。

正しい答えはないんですよね……でオトすと前回とおんなじなんで、「そんなわたしやあなたは、なにを、だれとやるか、どのようにやるかってところが重要」というあたりで次回に続きます。よし、引っ張れた!

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