学び2.0でいこう! – 第4回 コピペレポートに思ふ

こんにちは。hokutoです。

ちょうど3年くらい前になるでしょうか。大学生のレポートにコピペが蔓延しているという話がネットでも話題になりました。ご存知の方は「またその話ぃ?」と思われるかもしれませんが、今回はこれまでの検索のお話と絡めてコピペ問題を取り上げます。

「答え」は探すもの

授業のキーワードでGoogleを検索して、見つかったテキストをコピペしてレポートを書く・・・僕は大学1年生で初めてネットを経験しましたが、そういう発想はありませんでしたね。今の大学生は、検索をインプットの有力な手段として捉えているのでしょう。

レポートの課題は「自分の考えをまとめろ」だったりするわけですが、例えば一般教養科目のような詳しくもなく興味もない話に対して、「自分の考え」を書くなんて無理!というのが大学生の本音じゃないでしょうか。それは、そのテーマについての基礎知識が足りないからというだけでなく、そもそも「自分の考え」を書くこと自体が容易なことではないと思うからです。

自分自身の小中高の授業体験を振り返ると、「教師の質問に対する答えを探す」ということは繰り返ししてきたものの、「自分の考えをアウトプットする」という経験はあまりなかったように思います。教科書とか授業の文脈の中に「正解」はあって、それを教師が望む形で取り出してくるのが、学校での学び。そんな実感があります。

僕は教育実習で高校の国語科の授業を担当したことがあるのですが、そこで驚いたことがあります。文章中の「それ」は何を指すか?という僕の質問に、学生は的確に文章中の該当箇所を抜き出して答えてくれたのですが、その該当箇所は抽象的な表現だったんですね。小説なんかでよく出てくる「・・・のようなもの」といった、ストレートじゃない言い回し。で、僕は「確かにその部分なんだけど、それを簡単に言うとどういうこと?」とか「自分の普段使ってる言葉で言うと?」と聞くと、みんな途端に静まり返ってしまうわけです。理解はしてるはずなのに。僕はそのことに、ちょっとした危機感を覚えました。

正解を探しだす作業は、検索と似ているところがある気がします。そして、そうして探しだした正解は、教科書や教室やそのサイト内という限られた世界の中での適切な答えにすぎません。「考える」というプロセスには、時にその外側に広がっている基準や視点を意識することが求められます。その正解は本当に正しいのか、その問いは適切なのか、そもそも正しいって何なのか。そうした思考と、その思考を他者に伝えるスキルは、「教師の質問に対する答えを探す」授業では身に付かないように思います。

検索が明らかにした教育の問題

件の議論では、サイトをそのままプリントアウトしてレポートとして提出するような学生を「モラルの欠如」とか「常識がない」と捉える人たちがいることが伺えます。はたして、モラルや常識という守るべき規範を守らない、そのお行儀の悪さが問題の根本なのでしょうか。

僕は、サイトのプリントアウトを提出する行為は、教科書から必死に答えを抜きだす行為と同質のものではないかと思います。与えられた世界の中で「正解」を見つけること、知ること、理解することが学び。学生がそう教わってきたのだとしたら、そう簡単にレポートを「考えて」書くことはできないでしょう。自分の考えや判断を伴わない、表面的な検索力や見つけ出すスキルだけでは、どうにもならないのです。

Google大先生に聞けば何でもわかる。「わかる」というのは、すでにそこにある、評価された知識を知ること。検索という行為の日常化によって、僕らは知識の引き出しを豊富に持てるようになりました。そのことは逆に、「引き出したものをいかに使うか」という点の重要性を際立たせています。そして、その部分に焦点を当ててこなかった学校教育の問題も、いま浮き彫りになっているように思います。

レポートのコピペ現象は、実はそんな根本的な教育的問題があることの象徴ではないか。僕はそんなふうに感じるのですが、みなさんはどう思いますか?

コメント / トラックバック 5 件

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  1. ふるしょう より:

    コピペでレポート、身に覚えがあります笑

    しかしそもそもそれがそんなに悪いことなんでしょうか?昔から学生のレポートなんて人のを丸写しとか、当たり前だった気がします。「手で写すならそのとき文章を読むからいい」ということなら印刷物不可にすればいいだけのことですし、Web上から探してくるという作業が入る分先輩のレポートを無批判に写すよりマシな気もします。

    結局のところ結論は仰るとおりなんですが、昔から存在していて問題になっていなかったことが顕在化してきた、というのが昨今の大きな流れなんでしょうね。

  2. hokuto より:

    実際に「手で写せ、印刷物不可」としている教授もいるようです。調べるのに本を読む必要があった昔と違って今は読まずにコピペできるのが大きな問題・・・と言ったって、無批判に丸写しよりマシという議論と大して変わらないですよね。

    コピペレポートに本気で困っている教授は、そもそも教育能力に問題ありなんじゃないかと思います。まぁ大半の教授は、一般教養の授業で学生が出すものに大した価値はない(出されたものも本気で読まない)と割り切っているから大した問題ではない、みたいに思っているんじゃないでしょうかね。

    問題を顕在化させてくれた「検索」という存在に、むしろ教育者は感謝しなければならないのかもしれません。

  3. ふるしょう より:

    根本的には、コピペで済んでしまうような課題設定しかできない、というのが一番の問題でしょうからねえ。

    私としては(これも近年に始まったことではないんですけど)学生が一般教養に興味を持たないという状況自体改善しなければならないものなんじゃないかと思っています。いろんな分野の勉強するの楽しいのに。

  4. 茶々○ より:

    「手で写せ、印刷物不可」とよく言われました。
    が、実際にやってみると手で書き写す方が意外に頭に入ってないという珍現象が起きます。
    コピペの方が内容を覚えてることが多いです!私の場合は。
    おそらく、書き写すと…書き写すことに必死になってしまうからなのかなと思っています。
    その点、コピペだと単純作業だがらその分ちゃんと読んでいるのかもしれません。

    と、自己分析してみました。

  5. hokuto より:

    そうそう、ふるしょうさんのおっしゃる通り、一般教養ってほんとは面白いし、他分野の授業を気軽に受けられるのが大学の長所でもあると思うんですけどね。意外に自分の専門以外の経験がその後に生きてくることってあると思いますし。

    書き写すことの効能は、内容が理解できることではなくて、言葉のリズムとか流れを実感することなのかなと個人的には思ってます。どっちかというと音読に近いような。斎藤孝っぽいですけど(笑)

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