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	<title>Re:Creator&#039;s Kansai （リクリ） &#187; 検索</title>
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	<description>Re:Creator&#039;s Kansai（リクリ）は関西のクリエイターの交流、勉強会・セミナーの開催を目的としたコミュニティです。</description>
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		<title>学び2.0でいこう！ &#8211; 第５回 「知っていること」の価値</title>
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		<pubDate>Mon, 08 Sep 2008 14:03:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hokuto</dc:creator>
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		<description><![CDATA[前回は、コピペレポートを提出する学生に焦点を当てましたが、検索あるいはITの日常化の影響を受けているのは、なにも学習者だけではありません。教師もまた、変わってきている、あるいは変わることを迫られてきているのです。

教師 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>前回は、コピペレポートを提出する学生に焦点を当てましたが、検索あるいはITの日常化の影響を受けているのは、なにも学習者だけではありません。教師もまた、変わってきている、あるいは変わることを迫られてきているのです。</p>
<p><span id="more-105"></span></p>
<h3>教師のコンピューター観</h3>
<p>僕が大学にいた頃、受講していた授業に、頑なにコンピューター不要論を唱える大学院生がいました。僕が「コンピューターは学びにうまく使える」という話をすると「コンピューターはダメです！だって紙の教科書と違って、濡れたら壊れます！」という答えを返す人でした。後になってその真意を探ったところ、「コンピューターが自分の代わりに授業をするようになって、自分の仕事が奪われるのが怖い」という気持ちがあるとのことでした。</p>
<p>これは極端なケースにしても「授業の間が持たなくなるからコンピューターは使わない」という教師は結構います。教師のすることがなくなるじゃないかと。教育実践の全てがコンピューターに置き換えられることはないと僕は思いますが、コンピューターやネットの得体のしれなさが生む誤解も手伝って、コンピューターと教育の関係を真剣に考える教師はまだまだ少ないように思います。</p>
<h3>教師の価値とは何か</h3>
<p>教師が与えた教科書で学習者は学び、答えは教師が知っている。教室という空間に情報の全てがある（と考える）のがこれまでの授業でした。それがこれからは、学習者はネットという、教室の外の世界から情報を自ら引っ張り出せる時代です。教室という空間は半分オープンになりつつあります。</p>
<p>知識を学習者に注入することが教育、学習者より教師が物知りで当たり前。そんな教育観で今までやってきた教師にしてみれば、この新しい時代は脅威でしょう。知識ならネットで手に入り、学習者が教師より詳しい状況だって十分起こりえます。学生に「先生、そんなのも知らないの？」と言われたらどうでしょう。自身の「教師としての価値やプライド」を「学習者より知っていること」に求めていたとしたら、これはものすごく辛い状況です。そして、そういう教師は決して少なくないのではないかと思います。</p>
<p>時代の流れには逆らえない。いやむしろ、時代が教育の問題を明らかにしたのだ。そう考えて、教師は教育観を転換しなければならないようにう思います。それは決してたやすいことではないでしょう。でも学習者は先に変わり始めているのです。いつまでも騙せはしないのです。</p>
<h3>「知っていること」をどう捉えるか</h3>
<p>「博覧強記」という言葉があります。広く物事を見知ってよく覚えていること、というような意味です。ネットで何でも検索できる現代においては、物事を知っている、覚えている必要性が格段に下がったという意見もあります。そんな時代では、博覧強記な人間の価値は下がるのでしょうか。</p>
<p>僕の答えはノーです。そこにある情報は、それだけでは価値を生みません。それをいかなる時に拾い上げ、いかなるものと結びつけ、いかなる形に仕立てるのか。そこには知の活用とか編集といったスキルが必要です。これまで博覧強記と呼ばれて評価されてきた人の多くは、単に知っているだけでなく、そうしたスキルも持ち合わせていたのではないでしょうか。</p>
<p>「知っていること」や「覚えていること」の縛りから開放され、その知識をいかに取り扱うかにプロとしてのスキルを見せる。それが教師の専門性ではないかと思います。知の取り扱いは、決して表面的な検索テクニックだけで埋めることはできません。知らないことは、学習者とともに学べばいいのです。問題はその次の段階です。</p>
<p>みなさんは、自分の専門性、知っていることについて、どんな考えを持っていますか。知っていればよいとか、検索できればよいと言えることと、そうでないことにどんな違いがあると考えていますか。秋の夜長に、そんなことを考えてみるのもいいかもしれません。</p>
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		<title>学び2.0でいこう！ &#8211; 第４回 コピペレポートに思ふ</title>
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		<pubDate>Tue, 02 Sep 2008 11:48:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hokuto</dc:creator>
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		<description><![CDATA[こんにちは。hokutoです。
ちょうど３年くらい前になるでしょうか。大学生のレポートにコピペが蔓延しているという話がネットでも話題になりました。ご存知の方は「またその話ぃ？」と思われるかもしれませんが、今回はこれまでの [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>こんにちは。hokutoです。</p>
<p>ちょうど３年くらい前になるでしょうか。大学生のレポートにコピペが蔓延しているという話がネットでも話題になりました。ご存知の方は「またその話ぃ？」と思われるかもしれませんが、今回はこれまでの検索のお話と絡めてコピペ問題を取り上げます。</p>
<p><span id="more-96"></span></p>
<h3>「答え」は探すもの</h3>
<p>授業のキーワードでGoogleを検索して、見つかったテキストをコピペしてレポートを書く・・・僕は大学１年生で初めてネットを経験しましたが、そういう発想はありませんでしたね。今の大学生は、検索をインプットの有力な手段として捉えているのでしょう。</p>
<p>レポートの課題は「自分の考えをまとめろ」だったりするわけですが、例えば一般教養科目のような詳しくもなく興味もない話に対して、「自分の考え」を書くなんて無理！というのが大学生の本音じゃないでしょうか。それは、そのテーマについての基礎知識が足りないからというだけでなく、そもそも「自分の考え」を書くこと自体が容易なことではないと思うからです。</p>
<p>自分自身の小中高の授業体験を振り返ると、「教師の質問に対する答えを探す」ということは繰り返ししてきたものの、「自分の考えをアウトプットする」という経験はあまりなかったように思います。教科書とか授業の文脈の中に「正解」はあって、それを教師が望む形で取り出してくるのが、学校での学び。そんな実感があります。</p>
<p>僕は教育実習で高校の国語科の授業を担当したことがあるのですが、そこで驚いたことがあります。文章中の「それ」は何を指すか？という僕の質問に、学生は的確に文章中の該当箇所を抜き出して答えてくれたのですが、その該当箇所は抽象的な表現だったんですね。小説なんかでよく出てくる「・・・のようなもの」といった、ストレートじゃない言い回し。で、僕は「確かにその部分なんだけど、それを簡単に言うとどういうこと？」とか「自分の普段使ってる言葉で言うと？」と聞くと、みんな途端に静まり返ってしまうわけです。理解はしてるはずなのに。僕はそのことに、ちょっとした危機感を覚えました。</p>
<p>正解を探しだす作業は、検索と似ているところがある気がします。そして、そうして探しだした正解は、教科書や教室やそのサイト内という限られた世界の中での適切な答えにすぎません。「考える」というプロセスには、時にその外側に広がっている基準や視点を意識することが求められます。その正解は本当に正しいのか、その問いは適切なのか、そもそも正しいって何なのか。そうした思考と、その思考を他者に伝えるスキルは、「教師の質問に対する答えを探す」授業では身に付かないように思います。</p>
<h3>検索が明らかにした教育の問題</h3>
<p>件の議論では、サイトをそのままプリントアウトしてレポートとして提出するような学生を「モラルの欠如」とか「常識がない」と捉える人たちがいることが伺えます。はたして、モラルや常識という守るべき規範を守らない、そのお行儀の悪さが問題の根本なのでしょうか。</p>
<p>僕は、サイトのプリントアウトを提出する行為は、教科書から必死に答えを抜きだす行為と同質のものではないかと思います。与えられた世界の中で「正解」を見つけること、知ること、理解することが学び。学生がそう教わってきたのだとしたら、そう簡単にレポートを「考えて」書くことはできないでしょう。自分の考えや判断を伴わない、表面的な検索力や見つけ出すスキルだけでは、どうにもならないのです。</p>
<p>Google大先生に聞けば何でもわかる。「わかる」というのは、すでにそこにある、評価された知識を知ること。検索という行為の日常化によって、僕らは知識の引き出しを豊富に持てるようになりました。そのことは逆に、「引き出したものをいかに使うか」という点の重要性を際立たせています。そして、その部分に焦点を当ててこなかった学校教育の問題も、いま浮き彫りになっているように思います。</p>
<p>レポートのコピペ現象は、実はそんな根本的な教育的問題があることの象徴ではないか。僕はそんなふうに感じるのですが、みなさんはどう思いますか？</p>
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		<title>学び2.0でいこう！ &#8211; 第３回 検索経験から検索力へ</title>
		<link>http://www.re-creators.jp/blog/2008/08/18_92.html</link>
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		<pubDate>Mon, 18 Aug 2008 14:12:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hokuto</dc:creator>
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		<description><![CDATA[こんにちは。hokutoです。
学校教育の世界には「調べ学習」という言葉があります。文字通り「調べものをして学ぶ」ということです。僕が小学校の頃は本で調べるのが当たり前でしたが、近年はネットでの調べものも一般的になってき [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>こんにちは。hokutoです。</p>
<p>学校教育の世界には「調べ学習」という言葉があります。文字通り「調べものをして学ぶ」ということです。僕が小学校の頃は本で調べるのが当たり前でしたが、近年はネットでの調べものも一般的になってきたようです。<br />
<span id="more-92"></span><br />
もっとも、本に比べてネットの情報の量や質はバラツキがありますから、それをうまく活かすメディアリテラシーが問われます。ブラウジングの基本操作のスキルも必要とされます。そのため最初は、教師が指定したサイト内で調べる、あるいはフィルタリングで閲覧サイトを制限する、という方法がとられているようです。中学校、高校となると調べ学習自体の機会は減るものの、Googleなどを使ってオープンに検索する活動も授業に取り入れているようです。</p>
<h3>ググレカスはなくなる？</h3>
<p>検索を学校教育で普通にやるようになると、家庭のネット環境や自身の興味関心にかかわらず、検索の経験が学生の中に蓄積されていきます。検索の具体的な手順と、それに対して得られるものの量や質を感覚的に理解するようになり、検索に対する抵抗も少なくなると思われます。僕のように「ちょっとしたことを頻繁に検索する」人も増えるんじゃないでしょうか。</p>
<p>では、これで「ググレカス」なやり取りも減るのでしょうか。僕は、話はそう簡単でもないと思っています。なぜか。それは、ググレカス！が指し示すようなレベルの検索を授業で扱える教師の数は、まだまだ多くないのが実情だろうと思うからです。</p>
<h3>一歩先の検索力</h3>
<p>Wikipediaで芸能人の名前を入れるような検索は、電子辞書で言葉を調べるのと同じように、たいてい１回の検索で必要な情報が得られます。明日の天気が知りたくてGoogleで「天気予報」を検索をすると、まぁ天気予報サイトが上位に出てくるでしょうから、そこで天気を調べられます。こうしたものも立派な検索ですが、ググレカス！と言われるようなケースは、もう少し高度な検索を必要とするものが多いでしょう。しかし、そうした検索を普段からしている教師はあまりいないようです。自身が普段していなければ、やり方もよくわからないし、わからないことは教えようがないと言えるでしょう。</p>
<p>意味を知りたい言葉があるとき、単にその言葉をキーワードに検索するんじゃなく「とは」という言葉を付けると良い、という検索術がありますよね。それを知り合いに教えると「ほんとだ、すごいねー！」という反応が返ってきます。でも私としては、それを便利なテクニックとして丸覚えするのではなく、なぜ「とは」を付けると良いのかに意識が向いてほしいなと思うのです。それは、検索がWeb上のテキストを対象に言葉のマッチングを行う行為であり、対象の意味が説明される場合に「とは」という言葉が使われることが多い、という仮説に基づくものですよね。</p>
<p>意味を理解していれば、他の検索テクニックに応用もできますし、検索自体の学問的な面白さも実感するかもしれません。検索を学ぶというのは、そういうことではないかと思いますし、理解とテクニックの両方を含めたものを、私は「検索力」と呼んでいます。</p>
<p>検索テクニックから学べることは多いと思うのですが、上手い下手に関わらず、他人が検索をする過程を見る機会は日常なかなかないものです。だから自分の検索力に無頓着になりがちで、検索力が低いがゆえに見えていない世界があることにも気付きにくいのではないでしょうか。</p>
<h3>検索力育成の場としての学校教育</h3>
<p>学校教育の場は、教師がいて、ともに学ぶ仲間がいる場です。だから検索力を育てるには重要な場だと思うのですが、教師が検索の重要性を理解していなかったり、教師自身に検索力がなくて教えられないと、学校で積める検索経験に多くは期待できません。結果、学校外での検索経験の質が、検索力の大きな個人差となって表れてくるように思います。</p>
<p>ネットにある情報を適切に得ていく最大の手段が検索である現状を考えると、検索力を身につけることは重要な教育目標になりえると私は考えています。確かに、ググレカス！と言われるケースの全てがこうした検索力のなさと結びつくわけではないでしょう。現に私も、学校教育で検索力をつけたわけではありません。しかし、日頃のネット利用で誰もが検索力をつけられるかというと、それも疑問です。</p>
<p>もちろん、ネット検索を教育としてどの程度重要視するかの問題はあります。これだけネットが身近になり、ネットでの情報収集の現時点での最大の手段が検索で、それが今後しばらくは変わらないと考えると、学校教育でもきちんと扱うべきではないかと個人的には思います。学校の教育現場がどう変わり、ネット利用者の言動がどう変わっていくか。僕の関心は今そこにあります。</p>
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		<title>学び2.0でいこう！ &#8211; 第２回 ググレカスが生まれるわけ</title>
		<link>http://www.re-creators.jp/blog/2008/08/08_73.html</link>
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		<pubDate>Thu, 07 Aug 2008 15:42:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hokuto</dc:creator>
				<category><![CDATA[ブログ]]></category>
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		<category><![CDATA[教育]]></category>
		<category><![CDATA[検索]]></category>

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		<description><![CDATA[こんにちは。hokutoです。
今回から本題に入っていくこの連載、テーマは「教育・学び」。でも小難しい専門書みたいな話はできないので、僕の実感ベースでお話していきます。今回のテーマは「ググレカス」です。
ググレカス！は当 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>こんにちは。hokutoです。</p>
<p>今回から本題に入っていくこの連載、テーマは「教育・学び」。でも小難しい専門書みたいな話はできないので、僕の実感ベースでお話していきます。今回のテーマは「ググレカス」です。</p>
<h3>ググレカス！は当然？</h3>
<p>自分で検索もしないであれこれ質問しやがって、それくらいググれ（Googleで検索しろ）、このカス野郎！・・・という返答の略が転じて<a href="http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%AB%E3%82%B9">「ググレカス」</a>になったんだそうです。なるほど。この言葉に見られるように「わからないことは人に聞く前に自分で調べてみるべきだ」というのは、程度の差はあれ、ネットの世界ではわりと支持率の高い考え方であるような気がします。</p>
<p>でも「わからないことはまず自分で調べる」という行動は、そんなに王道なのでしょうか。「ググれ」という言葉が示すように、ネットの世界ではGoogleが圧倒的な存在感を放っているからかもしれませんが、非ネットな世界では「わからないことは知っている人に聞く」が王道という感じもします。<br />
<span id="more-73"></span></p>
<h3>「調べること」に対する意識の変化</h3>
<p>僕がネットに初めて触れたのは今から10年前で、大学１年生の頃でした。だから高校までは家でも学校でもネットを使うことはなく、調べものといえば図書館でした。小学校で辞典の引き方はかすかに習った記憶がありますが、ちゃんとした調べものに使えるような知識では到底ありません。司書さんのいる図書館に行くという選択肢は頭の中になかった僕は、調べるといっても何をどうやればいいのかわからず、結果、調べること自体を可能な限り避けていた気がします。</p>
<p>でも今は、ちょっとしたことでもGoogleやWikipediaで調べる毎日です。もちろん正確さとか適切さとかの問題はありますよ。でも、ほどほどのことがわかればいいような事柄も多いんですよね。漢字の読み、言葉の意味、時刻表、好きな俳優のプロフィール、小耳に挟んだ映画のタイトル・・・。小さくて粗い結果で良いのであれば、調べることをためらわなくなった気がします。</p>
<p>いやいや、図書館で調べるべき内容と、Wikipediaがあれば数秒で済む内容とでは、そもそも質が違うではないか。確かにそうです。でも、ここで僕が問題にしたいのは「調べる」という行為の日常度なんです。書物の山からネットへと「調べるメディア」が変わったのではなく、今まで意識の外にあった「調べるという行為」が日常の選択肢に入ってきた、ということが大きいのです。</p>
<h3>意識の変化の理由は？</h3>
<p>この変化の理由、10年前と今の僕に違いが生まれた理由は何でしょう。ひとつに「オトナになった」というのもある気がします。仕事をするようになって「調べること」に対する意識が変わった、というのは実感としてあります。でも一番大きいのは、やはり「ネットで検索するという経験が増えたから」ということでしょう。</p>
<p>注意してもらいたいのは、これが「いまネットを使う仕事をしているから」とか「ネットのインフラが近年整備されたから」とか「Googleがいろんなサービスを展開して存在感を強めたから」という理由ではないことです。これらは件の変化と無関係では当然ないのですが、そういう環境面は副次的な要因であって、最大の要因は「検索の経験が増えたから」です。逆に言えば、環境面が整っていても「検索をした経験があまりない」人はいくらでもいると思うのです。僕の周囲を見渡すと、そういう人の方が多いくらいです。</p>
<h3>ググレカスを生む認識のギャップ</h3>
<p>検索という経験を積んで、調べることに対する意識が変わった人。調べることが日常化している人。そんな人たちにとっては、ネットは情報の海であり、ググることで泳いでいくものだという実感があるのではないでしょうか。</p>
<p>一方で、検索の経験があまりない人にとっては、ネットの世界は別の見え方をしているのではないでしょうか。例えば、ネットとはタダで読める新聞であったり、mixiであったり、匿名で発言できる掲示板だったり、といった具合です。そんな人たちにとっては「調べることは大変なので選択肢にない」のかもしれませんし、「わからなければ人に聞くのが普通」ではないでしょうか。そしてその感覚は、ネットの世界にもとりあえず持ち込まれるのだろうと思うわけです。</p>
<p>検索を使えという外的な圧力を受けて始めた人や、ネットに関するしっかりとした教育を受けたうえで使っている人は、現段階のネットユーザーを考えると少数ではないかと思います。だからこそ、ネット＝検索だと認識している人は圧倒的多数ではない。今の「ググレカス」なやり取りは、そういう状況から生まれた認識のギャップから起こっているのではないかと思います。</p>
<p>では、この状況は今後も続くのでしょうか。もし変化が起こるとすれば、それは学校教育によるものなのではないか、と個人的には思っています。ということで、次回からは教育現場のお話をしたいと思います。では、また。</p>
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